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2022/1/20
林竜馬さんはNYの芸大を卒業され現在は熊本を中心に現代アートのイベント・企画展などを主催するアートコーディネーターです。
林竜馬 https://www.facebook.com/profile.php?id=100010602992815&epa=SEARCH_BOX
現代アートは目に見える現象の中にある見えない概念、哲学をアートいう手段で表現しており、日本文化の見えない世界への敬意など非常に共通しているところがあると感じています。
侘茶を大成した千利休もその時代の現代アーティストであったのではないでしょうか?
時代と共に変化する、常識・非常識。
そこで古の現代アートであった、茶道が現代においてどのように観えているのか竜馬さんに茶道教室を撮影しながら観じたことをレポートにしていただきました。
ここからは竜馬さんのレポートです。
題して『 Ryuma’s Eye vol.1 』
オフィスエム主催の茶道教室での撮影と共に僕が感じた事も書いて欲しいという、ありがたい仕事のオファーを頂いた。
ただ、感想といっても、茶道からは学ぶことや気付きが多すぎるので、数回に分けて書いてみようかと思う。
さて、僕自身が元々武道を生業にしようとしていた時期があったので、「道」のつくものに接すると、どうしても武道的視点で考えてしまう癖があるのだが、撮影しながら武道や茶道、華道などにも共通するであろう「型・形」の重要性を改めて考えさせられた。
茶道でも武道でも、初心者はまず不自然なほど「型・形」を意識させられる。
普段僕達が自然にこなしていると思っている立ったり座ったりの動作から、モノを持つ仕草の一つ一つにまで、いちいち細かく「型・形」があり、決まりがある。
それらの「型・形」を半強制的に意識させられると途端に、普通に歩くことすらぎこちなく、不自然になる経験をする。
「あれ?歩く時は右足からだったっけ?左足からだったっけ?」「ん?お茶碗って右手で持ってたっけ?左手で持ってたっけ?」てな具合。
そもそも自然に振る舞う、自然の動作、所作って何だろう?と考え始める。
その無意識だった日常の所作を、まずは意識し始めることが実はかなり重要なんだと思う。
茶道でも武道でも、そういった「型・形」から入り、それを何回も何回も反復させ身に付けさせるのは、自然な立ち振る舞いを身に付けさせる為というのが理由の一つにあるのだと僕は考えている。
鍛錬され研ぎ澄まされた自然の立ち振る舞いからは無駄が削ぎ落とされ美しさが香り立ち始める。
自然と共存する為の所作
自然に溶け込む為の所作
これらの所作を身に付ける為に一見不自然な「型・形」に一旦はめ込むという修練法に僕は武道とも通じる何かを茶道に感じた。
そしてこの「型・形」を忠実に守ることで次に出てくる「守破離」の概念。
それらまで書くと長くなるので、今回はここまでにして次に譲りたい。
このオフィスエム茶道教室を撮影しながらの僕の学びや気付きについては更に今後も何回かに分けて投稿させてもらおうと思うが、この投稿の一部と撮った画像はオフィスエムのブログに載せていただけるらしい。
最後に、歌舞伎役者十八代目中村勘九郎も座右の銘としていた「型があるから型破り、型が無ければ形無し」という言葉を添えておく。